カミュの『ペスト』とエコロジーに通じるもの

コロナ禍が続いていますね。

いつまでこの閉塞感が続くのか。そんな思いと付き合いながらの先月のある日。

『ペスト』を読みました。

「ペスト」カミュ(新潮文庫)

ペスト菌による不条理と向き合う

カミュの名作『ペスト』はアルジェリアのオラン市を舞台とした、ペストで市が封鎖された人々の物語。
新型コロナウィルスに翻弄され、不条理の中で右往左往する私たちの弱さや醜さ、そして強さを見たような錯覚を覚えます。

『ペスト』が書かれたのは第二次大戦後ですが、物語のなかの感染対策は、今と違うところも多々目につきます。
街の外の行き来や郵便物の往来もNG、でも、カフェやレストランといった飲食店はずっと開いていて、多くの人でにぎわっていたりします。

今と同じような対策も、たくさん見られます。

自分だけは助かりたい人々

ところでこの本の登場人物は、どの人もユニークで、身近にいそうでいなさそうで、とても興味深いのです。
その中で一人、とてもいい味だしている若いジャーナリストがいます。
ラベールという名の男性で、ペスト菌による街の閉鎖のときにたまたま、取材でオラン市を訪れていました。

オラン市が外部と遮断されるとすぐに彼は、どうにか市からの脱出を試みます。
自分の幸せを取り戻したいと、パリで待つ愛人のもとに帰ろうと、いろんな手を駆使して必死にもがく姿からは、人のもつ利己的な焦燥感とともに、人間らしさも伝わってきます。

本当はオラン市にいる筈がない自分は”部外者”であって、オラン市から出ることは可能な筈だと、四方八方手をつくしますが、同じような境遇の人を市から出すことは、ペスト菌を外部の街に拡大させることになると、拒絶に次ぐ拒絶に苦しみます。

閉塞感の中で

ペスト感染の渦中で、自分ができること

脱出を試みる中で、ペストで回りの人たちが苦しみ悶えなくなっていく様を見続けるなか。

ラベールが自分ひとりの幸福を選ぶことへの『恥』を覚えるシーンは、すごく考えさせられます。

「現にみたとおりのものを見てしまった今では」

さっきまで生きていた誰かの大切な人が、もがき苦しみこの世を去っていく。
必死に看護して生死と向き合い戦っている人たちと共にその場面をみていくことで、オラン市にとどまることを決断するんです。

他の人たちを踏み台にし見殺しにして脱出してつくられる自分だけの幸せでは、もう今の自分は幸福にはなり得ない、と悟るのです。

自分の幸せと、共同体の幸せと

これって・・・。
地球環境と私たちの問題に、通じるものがあるなぁと。

「現に見た通りのものを見てしまう」ことで、自分にとっての幸せの形が変わっていくのは、感染症と環境問題と問題が変わっても似たようなものがあることに気づかされます。

地球が元気が一番

もとを正せば・・

今でこそ、使い捨てプラスチックはエコロジーでは悪者になってはいるものの、もともと私たちはみな、豊かな生活を求めて発展してきました。

地球を壊したくてプラスチックをどんどん生活に取り入れ、依存してきたわけではありません。

軽量で使いやすくて値段も安くて手に入るプラスチック製品は、わたしたちの生活を便利で小ぎれいで、快適なものへと変えるのに大きく貢献してきました。

害が利を大きく上まわってしまった

でも、もろ手を振って歓迎して取り入れてきたプラスティックが今や、地球を傷めつけてしまっている現実が、様々なところで見られるようになりました。

地球が自助浄化できるレベルを超えてしまうレベルで地球環境へ負荷をかけてしまっているという、地球の声なき悲鳴が聞こえるようです。

そして、その負荷が地球だけでなくて、地球に住む生物たちにも苦しみを与えていて、もう人間の安全安心を揺るがすところまで来ているのだと。

それがこのところのプラスチックフリーへの関心の高まり、になっているのだと思います。

美しい海辺

だから。
始めに利己的な理由でエコな生活を始めるのも、断然あり、なのです。
エコな生活を始めて「現にみたとおりのものを見ていくうちに」、自分の健康と地球の健康が繋がっている見えない糸に触れる機会が必ずあります。

地球の幸せなしには、自分の幸せはもはやあり得ない。

地球の健康を踏み台にし、地球を見殺しにしてつくられる便利な社会での自分だけの幸せでは、もう今の自分は幸福にはなり得ない。

『ペスト』を読みながらそんな思いを、強くした今日この頃です。

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