新しい、違う自分になりたい
そんな『変身願望』を持ったことはありますか?
店長は自己否定感が強かったころ、変わりたいといつも願っていました。それは友人の姿かたちの美しさへの憧れであったり、知人の人付き合いや人当りの良さやフットワークの軽さなど、内面のものへの羨ましさがそうさせていたんです。良いなと思える人のマネをしたり、自らが積極的に行動を起こしたりすることで、特に内面については、完璧とは言わないまでも、自分の中のある部分を微調整することは可能です。そんな面からいうと、人は変われる、と言えます。
予期しない自分の変化
とはいえ、その逆もしかり。何らかの影響で、自分の意思ではなく『変わる』ことも、人生には起こり得ます。「こうなりたい」とか「あんなふうに変わりたい」そんな風にちっとも思っていなかったのに、変わってしまうという類のもので、店長にとってもそんな『思いもよらない変化』が起きたのが、約10年前のことです。
パンづくりに興味がなかった30代
今でこそ、パンを自分で作ったり、料理の仕込みをする週末の時間が、何物にも代えがたくて愛おしい店長ですが、30代までは、自分でパンをつくる自分など想像もできないことでした。
「パンは買ってくるもので、作るものではない」
外に出てお店に行けば、美味しいパンはたくさん売ってます。それを買って美味しく食べればいいことで、自分で作ること自体に必要性が感じられず、無駄とすら思っていたんです。もっというと、材料を買い揃えたり、小麦粉をこねたり、それから酵母が発酵するのを待つ、そんな風に待つことが嫌いでした。
そんなことに時間を費やすよりも、外へ出て人に会ったり学んだり、仕事をしていたほうが性に合っていた、と思い込んでいたのです。その根底には、自分が作ってもどうせ、美味しいものなどつくれっこない、という自己否定感があったことは否めません。
1つの転機で視点も変わりはじめる
ところが、です。体を壊したのをきっかけに食事面を見直したことから変化が生まれだしたのです。玄米菜食を取り入れ、より安全・安心な食材を求めるにつれて、なかなか手に入らないものが多く、やがては自分で作ることを余儀なくされたのです。
『へたくそ』も回数を重ねるとマシに
決して上手とはいえない料理も、必要性に迫られ、回数を重ねていくうちにコツもつかみます。すると自然と、まずい料理も少しずつマシに、いや、上手になるもの。そうすると欲が出て、より美味しくて安全なものを求めて研究し、やがては料理全般自体が楽しくなってきてしまったのです。
変わったんじゃなくて、忘れていただけ
『料理が好きではなかった』自分、が、果たして『料理好き』に変わった、のだろうか・・。それをときどき考えます。そして思うのは、変わったのではなくて、眠っていたものが開花されただけではないか、と。
人は生まれながらに色んなものを抱えて生まれてくるのだと思うのです。社会に出てアクティブに行動することが好む部分も、家に籠って料理にハマる部分も、初めから実は内在していて、人生のはじめの四半期は、それを忘れていただけで眠らせていたにすぎない、と。そして何かのきっかけと共に、顕在化したのではないかと、最近実感しています。
人は多面性も併せ持つ生きもの
自分のことが分かったつもりになっていても、何かの拍子に違う自分を発見して驚くこと、ありますよね。新しい発見に、心が踊ったり、落ち込んだりもするものです。でもそれらすべてを含めての自分、なんですよね。
そう思うと、自分の知らない自分にあとどのくらい出会えるか、楽しみなんです。残りの人生、あとどのくらい生きれるのかわからないけど、残りの人生をかけて、いろんな自分を発見したいと思っています。
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