怒りが怒りを呼んで、どうにも憎しみがおさまらないこと

ありませんか?

加害者からの攻撃に憎しみで対抗しても、何も生まれない。放っておくと増幅して、暴力さえ生みかねない。
そうわかってはいるものの、どうしても相手を許すことができないことって、生きているとあるものです・・・。

そんなとき、どうしてますか?
その答えのヒントを先日、小川糸さんの『卵を買いに』の中で見つけました。

小川糸さん 卵を買いに

糸さんがこのエッセイの中で紹介している本の1つに『憎むのでもなく、許すのでもなく』という本の著者、ボリス・シリュルニク氏のこんな言葉が載っていたのです。

「憎むのは、過去の囚人であり続けることだ。
憎しみから抜け出すためには、許すよりも理解するほうがよいではないか」と。(p238)

シリュルニク氏はポーランド系ユダヤ人として生まれ、5歳のとき、ユダヤ人一斉検挙で両親を失い、自身もその翌年には逮捕され、強制収容所に送られそうになるところで脱出したのち、苦労を重ねて精神科医となった人物です。

そんな過去をもつ氏の語りかけだけに、思わず耳を傾けずにいられない思いがしました。
両親を奪われたという過去のトラウマに捕らわれて生きる。そんな生き方を選ぶこともできたと思います。
でもシリュルニク氏はそうはせずに、とはいっても許すこともせず。
ではどうするかというと『理解』して、憎しみがもたらす執着から離れて、自由になる生き方を選んだのです。

執着が苦しみの元

人の苦しみの根源には、『執着』があると言われています。
世の中は、思い通りにならないことがほとんどである中で、何かに執着して思い通りにならなければ、苦しみがやってくる。
過去の苦しみが、現在の苦しみに連鎖して、負のスパイラルの中でもがく未来へと繋がっていきます。

両親を奪われ、壮絶な自分の人生に捕らわれ憎しみに満ちながら生きることは、その憎しみと同じくらいの苦しみが自分に絶えず付いて回る、ということでもあります。
苦しみから解放されるために、その執着から離れるために。
憎しみではなくて、許すのでもなくて。理解する。
理解して何が起こったのかを知り、手放す。

決して簡単な作業ではないですが、心穏やかに生きるための大切な鍵がここに隠されているなと感じました。

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